<相談事例>Kさん(前編):国は化学物質過敏症を労災として認めよ!

機関紙「安全と健康 Safety and Health」に掲載している「相談から」の記事の抜粋したものを紹介します記事の内容は掲載時のものになります。

和歌山市の花王(株)和歌山工場で品質検査の仕事をしていたKさんは劣悪な有機溶剤等の作業環境によって化学物質過敏症を発症しました。Kさんは花王を相手に損害賠償裁判を提訴し勝訴を勝ち取り、判決は確定したものの、和歌山労基署は労災を認めませんでした。その後4年以上かかった審査請求も棄却。再審査請求中の今年6月、東京地裁に行政処分取り消し訴訟を提訴しました。Kさんに職場での有機溶剤のばく露状況と化学物質過敏症の発症、損害賠償裁判と労災申請の闘い、そして行政訴訟の闘いについての訴えを寄稿していただきました。【東京労働安全衛生センター事務局】

1.化学物質過敏症を労災と認めず
10年前、私は業務により「多種化学物質過敏症(以下「MCS:Multiple chemical sensitivity」)を発症し、退職を余儀なくされ、労災保険の請求をしました。しかし、和歌山労働基準監督署(以下「労基」)は数々の不法行為を行い、これを「不支給(業務外)」と決定したのです。審査請求も私たちの反論に対して追加調査や関係者への再確認が行われる事も無く、明確な説明がされる事もないまま、ただ約4年半の時間を無駄にするだけの結果となりました。申請から10年が過ぎても再審査請求の決定はまだされておらず、結果が何時になるのかも全く分からない状態です。
この10年、私たち家族は「国」が保証した救済を受けることが出来ず、苦しい生活を強いられていました。この状況に見切りをつけるため、今回、労基が不当にした労災保険の不支給決定処分の取り消しを求め、裁判を提起しました。

2.安全衛生法令違反の作業環境
私は1985年に花王㈱和歌山工場に入社しました。1993年の異動で、化学品の製品・原料の検査分析業務を担当するようになり、有機溶剤や毒劇物、特化物指定の危険な試薬類を日々大量に使用する業務に就きました。しかし、この作業場は換気が不十分で保護具の支給もされない違法な労働環境にありました。私は上司に作業場の法令違反を指摘し環境改善を求めましたが、逆にパワハラを受け、特に危険な業務を全て押し付けられる事になりました。

3,発症原因
検査分析業務の担当となり暫くしたころから、指先の痺れ感を感じるようになりました。仕事を続けていくとやがてそれは、嘔吐、下痢、頭痛、微熱などを伴うようになり、更に悪化して鼻血、蕁麻疹、動悸(不整脈)、激しい咳、激しい眩暈、視覚の異常(閃輝暗点)、全身けん怠、四肢の脱力、痙攣などの症状も常態化するようになりました。
この間、上司らには繰り返し作業場の環境改善を求め、転勤や異動の申請もしましたが、おざなりな対応しかせず、産業医に相談に行っても「勝手に労災申請したら、裁判長引かすし負けないけど。」などと脅しをされるような状況でした。
車の運転も困難になり、通勤に支障が出るような状態まで悪化しても、花王は休養を許可しなかったので、私は裁判所に「労働審判」の申立をおこない、ようやく休養が認められ療養を開始することが出来ました。しかし、その後花王から退職勧告や復職拒否があり、私は結局2012年に退職しました。

4.退職後
産業医から労災についての脅しを受けて、私は労災保険の制度や申請方法などについて調べました。そこで、厚生労働省がMCSによる労災請求を不支給にするためだけに「個別症例検討会」なる委員会を設置し、労基はMCSでの請求を全て不当に「不支給処分」としている事を知り、酷く驚き悲観しました。その一方で、労災保険不支給処分の取消を求める裁判では、労災を認める判決が多く存在する事も知り希望を見つける事もできました。この状況はいまだに続いており、昨年確定した札幌高裁※の判決も同じ状況でした。
私は、MCS裁判や労災に詳しい弁護士や、支援団体に相談して助言を受け、「労災保険が補償すべき損害は労災に請求する。」、「その他の損害賠償は裁判で会社(花王)に請求する。」ことに方針を定め、損賠訴訟判決という「司法判断」を根拠に、労基に支給を認めさせるプランを立案しました。

5.損害賠償請求裁判で勝訴
損害賠償請求訴訟は、2013年9月に提訴し、2018年7月に判決がありました。この判決では、「原告が、本件工場内の研究棟において、検査分析業務に従事する過程で、大量の化学物質の曝露を受けたことにより、有機溶剤中毒に罹患し、その後、化学物質過敏症を発症したと認めるのが相当である」とされ、さらに「被告の安全配慮義務違反と化学物質過敏症に罹患したこととの間には、相当因果関係があると認められる」と判断されました。
この裁判で決定的な証拠として採用されたのは次の①~③の3点でした。
① N教授(K大学)による再現実験で、原告のばく露量が法定ばく露限界を大きく超えていたこと。(以下「再現実験」)

②請求人自身が作業場の違法性を申告し、労基が臨検を実施した結果、次の㋐~㋒の法令違反に是正勧告が成されたこと。㋐「有機溶剤業務を行う作業場所に、有機溶剤の蒸気の発散源を密閉する設備、局所排気装置又はプッシュプル型換気装置を設けていない」(安衛法第22条(有機則第5条)違反)。㋑「定期に有機溶剤濃度を測定していない」(安衛法第65条第1項(有機則第28条第2項)違反)。㋒「有機溶剤等を入れてあった空容器で有機溶剤の蒸気が発散するおそれのあるものについて、当該容器を密閉するか、又は当該容器を屋外の一定の場所に集積していない」(安衛法第65条第1項(有機則第28条第2項)違反)。(以下「是正勧告」)

③本邦を代表する3名のMCS専門医の確定診断と、それを支持する2名の医師の診断書。(以下「確定診断」)

6.労災の判断
しかし、和歌山労働基準監督署長が決定した処分は、「請求人に有機溶剤中毒を発症するに至る程の有機溶剤をばく露した事実は認められず、有機溶剤中毒の発症すらも認めない」、「急性期の症状は業務起因性がない」という信じられない判断でした。
何よりもこの決定では、裁判で認められた①~③の証拠が全て蔑ろにされていました。再現実験①による請求人のばく露量は、労基が作成した、曖昧な根拠で意図的に少なく算出された「推定ばく露量」に置き換えられ。労基自身が是正勧告②を行った作業場の違法性は、是正勧告自体が無視されました。この是正勧告については、労基が「是正勧告書」の提出を拒否したため、損賠裁判の中での手続きとしてした「文書提出命令」の申立が認められ花王から提出があったものです。この命令で裁判所は、労基の企業擁護の姿勢を強く非難しています。病状についても、確定診断③は蔑ろにされ、請求人を診察した事も無ければ会った事もない、御用医師一人の「アレルギーかストレスの可能性が考えられる。」といった判断を採用しMCSを否定しました。
審査請求からは、東京労働安全衛生センター様のご支援をいただける事になり、何度も和歌山の労基までお越しいただきました。

7.審査請求
2017年12月1日私は審査請求を行い、和歌山県労働者災害補償保険審査官は、2021年7月30日付で、棄却決定の判断を下しました。この決定は、私が、「相当期間にわたり多種多様の有機溶剤に繰り返しばく露する業務に従事していたこと」を認めましたが、①「頭痛、おう吐などの自覚症状は見られたが、専門医の意見からも・・他覚的所見は、認められない」こと、②「本件については鑑別診断を行っておらず、有機溶剤を原因として発症したとする根拠が見当たらない」こと、③「請求人が業務を離れた現在においてもその症状が継続していること」を理由にして、「有機溶剤を取り扱った本件による業務起因性は認められないことから、認定基準の要件を満たすものではない」と判断したのです。
さらに化学物質過敏症については、④「その疾病概念や診断基準は現在においても確立されるには至っていないもので、診断根拠自体に医学的・病理学的な裏付けが認められないこと」、⑤「本件請求人においては十分な除外診断は行われていないこと」、⑥「会社での化学物質のばく露がなくなった平成24年10月以降もその症状が継続している状況がみられたこと」をあげて、原決定を妥当であると判断したのです。つまり、同決定は、「化学物質過敏症」については労災を認めないという「化学物質過敏症」に対する労災害補償保険審査官ひいては労働基準監督署の姿勢を強く窺わせるものといえます。

8.再審査請求
私は2021年8月23日に再審査請求をしました。提出された約2000ページの「事件プリント」に対し、私は75ページの反論「陳述書」を提出しました。翌年4月19日には「公開審理」があり、東京の労働委員会会館で口頭陳述をしましたが、陳述の途中で打ち切られ、委員からの質問も全く無いといった、誠実身に欠ける内容でした。

9.不支給処分取り消しの訴訟を提訴
そして私たちは、再審査請求の決定を待たず、2022年6月1日に、東京地裁に「労災保険休業補償給付不支給決定取消請求訴訟」を提起しました。
もう20年以上も、病名が「化学物質過敏症」であるというだけで、私たち被災者は、国が保証した権利を国が不当に認めないため、救済を受ける事が出来ず、人生が破綻してしまうような状態が続いています。これは国による不法行為であり、いつまでもこのような理不尽な被害が繰り返されて良いはずがありません。
私の疾病は労働災害であり、原処分には、労働基準法等の法令の解釈適用を誤った違法な処分であり、速やかに取り消されなければなりません。

※札幌高裁判決 2021年9月17日、札幌高等裁判所は、職場で清掃作業中に殺菌剤を吸い込み、化学物質(MCS)を発症した女性労働者の労災を不支給処分とした第一審の札幌地裁の判決を取り消し、労災として認める判決を下した。国は上告を断念し、この控訴審判決は確定した。

※2022年9月21日、労働保険審査会は再審査請求を棄却する不当な裁決を行った。

安全と健康 Safety and Health「相談から」2022年9月号
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